チェコの裁判所の工事現場から、マンモス20頭ぶんの骨が出てきた。13頭は13〜27歳相当の若い大人で、自然に死んだ群れとは年齢の分布が違っていた

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チェコ北部の町ウースチー・ナド・ラベムで、裁判所の新しい庁舎を建てる工事が2024年11月に始まりました。工事に先立って地面を調べていた地元の考古学研究所は、まず中世の村の跡を掘っていました。その下の黄土(レス。氷河期に風で積もった細かい土)をさらに掘り進めたところで、大きな骨が出てきます。現場を率いていた Petr Lissek さんは最初の骨を見て掘る範囲を広げ、20平方メートルほどをあけたところで、マンモスの骨の集まりを扱い慣れたチェコ科学アカデミー考古学研究所(ブルノ)に応援を頼みました。

そこから2025年6月まで続いた発掘の最初の報告が、2026年9月に Journal of Archaeological Science: Reports に載りました。筆頭著者は同研究所の Dominik Chlachula さんです。出てきたのは、約1,000平方メートルの範囲に広がる3,500点を超える動物の骨。その95%ほどがケナガマンモスで、下あごが19個と、単独で出た歯が1本。少なくとも20頭ぶんです。ほかにケサイ、ウマ、トナカイ、ノウサギの骨がわずかに混じっていました。

骨の山が「解体の跡」だと分かるまで

マンモスの骨が大量に積もった場所は、中央ヨーロッパの氷河期の遺跡ではよく知られています。ただ、骨が積もっているからといって、人が殺したとは限りません。自然に死んだ動物が洪水で一か所に流されることもあれば、もともと死んでいた動物から人が肉や骨を持ち去ることもあります。この区別は、19世紀に最初の骨層が掘られて以来ずっと議論の的で、今回の論文もまずそこから手をつけています。

手がかりは3つありました。1つ目は骨の表面です。肋骨には石器で切った傷があり、割れ口は骨がまだ生のときに割れた形をしていました。いくつかの骨は関節がつながったまま出ていて、黄土に埋まった時点でまだ軟らかい組織が残っていたことになります。古い骨を拾い集めたのではなく、死んで間もない体をその場で切り分けた跡です。

2つ目は石器です。測量機で位置を記録した石器は286点。後期グラヴェット文化(およそ3万3,000年前から2万2,000年前までの、マンモス狩りで知られる中央ヨーロッパの文化)に特徴的な、背を潰した小さな石刃や、コスチョンキ型と呼ばれるナイフが含まれます。8点を選んで使った痕を顕微鏡で調べると、1点には動物の体を切り分けた痕、別の1点には皮をなめす作業と解体の両方の痕がありました。さらに3点には、槍の先として何かに当たったときにできる割れ方が見られ、うち2点は新しい判定基準で「槍先」と呼べる水準でした。

3つ目は火です。骨の層の下には、はっきりした炉の跡が3つ、それらしいものがもう1つありました。炉の炭を放射性炭素で測った4つの年代は、約2万8,800年前から2万5,600年前の範囲に散らばります。個々の値はまだきれいにそろっておらず、測定を増やす予定だと論文は断っていますが、後期グラヴェット文化の時期であることは動きません。炉のそばには、150〜200メートル離れた露頭から運んできたらしい玄武岩の塊が作業台のように置かれ、大きな骨の下には赤いオーカー(酸化鉄の顔料)のかたまりが見つかりました。マンモスの牙で作った小さなペンダントも1点出ています。

これらを合わせると、骨の山は人が作ったもので、新鮮なマンモスの体がここで切り分けられた、というのが論文の結論です。

13頭が「死ぬはずのない年齢」だった

ここまでなら、中央ヨーロッパで知られてきた骨層の仲間が1つ増えた、という話です。この遺跡が面白くなるのは、20頭の年齢を数えたところからでした。

マンモスの年齢は、歯の生え替わりの進み具合をアフリカゾウと照らし合わせて見積もります。その結果、20頭のうち13頭が、アフリカゾウでいう13〜27歳に当たりました。性成熟は済んでいるけれど、まだ若い大人です。残りの7頭には、もっと幼い個体も含まれていました。

この分布は、自然に死んだ群れのものではありません。野生のゾウで自然死が多いのは、乳離れ前後の子どもと、歯がすり減った老齢の個体です。体力の盛りにある若い大人は、病気や飢えで死ぬことがいちばん少ない。その年齢ばかりが13頭も1か所に集まっているとすれば、誰かが選んでいたことになります。論文はこの年齢構成を「自然死では説明しにくい」とし、狩りの相手を選んでいた可能性を挙げています。

候補の1つとして著者らが挙げるのが、家族の群れを離れたばかりの若いオスです。ゾウでは、オスは十代で母親の群れを出て、単独か小さな集まりで暮らすようになります。群れの守りから外れた若いオスは、群れごと襲うよりは狙いやすい。ただし、この遺跡のマンモスの性別はまだ分かっていないので、あくまで候補の1つです。

性別は、この遺跡の次の鍵になります。2026年7月には、ヨーロッパとシベリアの遺跡から出た521頭ぶんのマンモスの古代DNAを調べ、人の遺跡から出る個体は7割がメスだったという研究が Current Biology に出ました(このブログでも記事にしています)。ほかの地域の骨層で選ばれていたのがメスなら、この遺跡の若い大人たちはどちらなのか。チームはDNAで性別と血縁を調べ、歯の同位体から生まれた場所と移動の経路を追う計画です。

何頭を一度に倒したのかも、まだ分かっていません。年齢がばらけていることから、論文は1回の出来事というより、短い間隔で繰り返された何度かの狩りの結果とみています。Chlachula さんはチェコの雑誌のインタビューで、両極端の筋書きを挙げています。狩りの季節ごとに1頭ずつ仕留めたのか、群れをまとめて倒したのか。後者なら、15〜30人の狩りの集団がいくつか集まって120人ほどが要る計算になり、肉は凍らせるなどして冬を越す蓄えにできたはずだ、と。石器が少なく、骨の広がり方からも長く住んだ跡ではないので、ここは50〜100メートル離れた住まいのそばに設けた、解体のための作業場だったようです。

辺境のはずだったボヘミア

もうひとつ、この遺跡は場所そのものが意外でした。グラヴェット文化のマンモス骨層は、チェコ東部のモラヴィア(ドルニー・ヴェストニツェ、パヴロフ、プシェドモスティ)、オーストリア東部、ポーランド南部に集中しています。ドナウ川の流域からモラヴィア門を抜けてポーランドへ、というマンモスと人の通り道が想定されてきました。チェコ西部のボヘミアはその外側で、グラヴェット文化の中では辺境と見られていた地域です。ウースチー近郊のスタディツェでは1980年代の発掘でマンモス狩りの痕跡が出ていましたが、これほどの骨の集まりはありませんでした。モラヴィアの主な骨層が3万年前ごろなのに対し、この遺跡はそれより数千年新しい。著者らは「地理的にも時期的にも外れ値」と書き、骨層の分布を北西へはっきり押し広げる発見だとしています。

骨層がほぼ丸ごと掘れたことも大きい。19世紀や20世紀前半に掘られた有名な骨層は記録が粗く、今の方法で問い直せないことが多いからです。この遺跡では掘った土のほとんどを細かい網でふるい、小さな動物の骨や貝、植物の残りまで拾ってあります。ふるった試料の分析はこれからで、論文自身が「研究はまだ始まったところ」と書いています。

庁舎の下に残るもの

遺跡の大部分は、すでに庁舎の下です。ただ、工事はまだ続きます。最初の発見地点から数メートルの場所に貯水槽を造る予定があり、チームはそこをもう一度掘るつもりでいます。北ボヘミアの黄土には同じような骨の集まりがまだ眠っているかもしれない、とも Chlachula さんは話しています。

氷河期の冬を支えたのが、季節ごとの1頭だったのか、一度に倒した群れだったのか。その答えは、骨に残ったDNAと同位体が持っています。

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